2015年11月25日水曜日
朽ちて行くシステム。
この3次元世界において、
自身が多次元に亘る存在であることを忘れ
輪廻転生を繰り返すシステムは
これを称賛し存在意義を高らかに唱えていた存在すらからも
打ち捨てられた、最早朽ちていくしかないシステムである。
しかも、この囚われからの脱却は、
どの立ち位置の存在も自己責任で行わなければいけないという、
それが当然である、という奥に忍ばせた欺瞞が見え隠れする
2重3重にトリックが張り巡らされた、手強い課題でもある。
ここに、それを知りつつ挑んだワンダラー達も
また、その一部分だけを知り得たものや、
違った話としての理解で飛び込んだワンダラー達も、
共に、苦戦している。それが現状だ。
そして
他もある。
この現状とは違う流れにある 存在、チーム、組織もある。
思惑が違えば、事情も変わる。
それらが、こんなにも近接し交わるのが、
この世界の特色であり、好まれた理由でもある。
2015年11月14日土曜日
契約の破棄。
2013年8月。
別ブログに書いたものを転載。
「 ワンダラーへ 」
どうか、ご自分の思うままに過ごしてください。
かつての 契約はもう無効にしてもいいのではないでしょうか?
かつての 計画は見直してもいいのではないでしょうか?
今のあなた自身で 感じて考え、動いてください。
かつての秩序は、もう古臭く、
あなたを息苦しくさせてはいませんか?
そう感じているワンダラーの方もおられるのではありませんか?
けれども、だからといって、
何も「しない」というのは、あなたの魂を実は「がっかり」させてもいませんか?
ならば、今のあなたの独自で、
研鑽されていく中で生み出したものを礎に
新たな展開をされていけばいいのではないでしょうか。
皆が、自由になっていいのです。
あなた方もなのです。
永きにわたり、前線で動いてきたからこそ
できること、わかる事があるのだと思います。
どうか、本領を発揮してください。
shion
追記
上記の「秩序」とは、ワンダラーがここに来た時に「契約」した世界の「秩序」です。
勿論、今居る世界の「秩序」とも重なっているのでしょうが。
私が知っているワンダラーの方達は、
魂的に、「楽しむ」だけでは満足できないのではないでしょうか。
自分の素質を活かし、為していく、貢献していくその中に「楽しむ」心がありはしないでしょうか?
そこは、遠慮したり、気楽に慣れない自分を恥じたりする必要はないのだと思います。
キラキラしていない自分を責めないでください。輝き方が違うだけです。
ハートを固まらせるほどに力む必要もありませんが、自分自身が望んでいるであろう「ミッション」には正直であっていいのだと思います。
「拘ってしまう」自分も一旦許してください。その先が必ずあります。
「囚われているのかもしれない自分」に対する恐れも受け入れてみてください。
その先には、囚われていないあなたがいます。
自身を振り返り、そう思うのです。
2015年11月8日日曜日
全ては。
後悔
無念
憐憫
憎悪
疑念
終われない悲しみ。
全ては
「 愛してる 」
と共に 蒼穹に 還る
今回の方向性は こういうことなのかな。
と、思った。
過去となっても 消せずに
引継ぎ。
終わらせる事を 叫んでいても
何よりも 自身に届けられずにいた。
星を巡りて集いし 欠片の。。。。。
我も
塵となりし
愛しき子らを
自らの内に還す。
そうして、
いくつもの 物語が リンクして
また新たに世界を紡ぎだす。
2015年11月4日水曜日
私にとってのワンダラーとは。
wanderer 日本語訳→ 歩き回る人 さまよう人 放浪者
数年前に当時の知人から 「Gちゃんはこれなんじゃない?」
と言われ読んでみるように促されたのは「オイカイワタチ」でした。
ここに書かれている「ワンダラー」とは、結局は私は違う部類ではあるけども、
「星々を渡り歩く清掃人」というキーワードに、深く反応している自分がいました。
正規軍でもなければ、NPOでも無く、統制・指揮管轄でもなく、一人親方の現場仕事人。
スピリチュアルのセカイでは、同じ言葉でも指しているものが全く違い、
会話を進めていくには、まずそこのすり合わせが必要だったりします。
「リンゴ」と言っても、リンゴの木のことを、花の事を、実の事を言ってたり、その全体を言っていたりするので、ウッカリすると実は会話が成立していなかった、ということもあります。
これからここで「ワンダラー」というものを綴っていくにあたり、
一度、私の知っている「ワンダラー」のイメージを
断片的にではあるけども記しておこうと思います。
G的、ワンダラーイメージ
各自がひとつの部隊としての機能をもつ、特殊に訓練された職人。
任務内容はそれぞれの特色に沿ったもの。
地球に任務に就くときのイメージ(あくまでも比喩)
アーミーに身を包んだ者がワラワラと、輸送用ヘリから落下傘で降りて行く。
身につけているものが物語るように、そこに降りるのは仕事の為であり、他の事は、それを遂行するための条件でしかない。
けれど実際、ミッションはその中に組み込まれてもいる。が、
三次元で泳ぎ、任務達成の為の手段、というのが根底にある。
仕事師なので、非常に淡々としているが、奥にはそれぞれに秘めたものはある。
何故自分がそのことをしているのか、の理由がある。
それはそれぞれの魂の特質、音色に基づき発せられる、変えようの無いものである。
そしてこのような記憶は、実際のミッションの際に役に立つのかというと、そういうこともあるが、むしろあまり関係ない。
道標のひとつに過ぎない。
まだ他にもあるし、後に書いたことから見解が変わることもあるかもしれません。
今日のところはこんなところでしょうか。
まだ他にもあるし、後に書いたことから見解が変わることもあるかもしれません。
今日のところはこんなところでしょうか。
2015年11月2日月曜日
為すべきこと。
自分には為すべきこと、「魂との約束」がある。という感覚は気づいたら持っていたのだと思う。
そして数年前からそれを本格的に探究する旅が始まり、現在に至る。
結果、得たものは。
やはり、変わらぬ「為すべきことがある」という感覚。
私においての日常でのそれは、「祈り」のようでもある。
そして、掴みかけてはまた虚ろにもなりを繰り返し、まだまだ浸透はしきってはいない。
試行錯誤の日々。
以前ハイヤーがこんなことを言っていた
「 それは、
課題 でもなく、使命 でもない。
お前自身が誓った
為すべきことだ。 」 と。
これも厳密には言葉どうりでは無い。
そして、果て無く大きくまだまだボンヤリとしながらも存在感のある「為すべきこと」というものは、きっとその全貌を具体的に知ることは無いのだろう。
私の知覚の限界故、訳があってのこと故。
そしてそれとは別に、「具体的な誓い」もある。
それが、ワンダラーととても関係のある事柄。
であり、
私がこのブログで綴りたいと思っている事柄なのだけど。
そして、このブログの進む方向も、未だ私にも解らないのだけど。
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