2016年12月21日水曜日

紡がれるタペストリー


今日は、かつての仲間に再会した。

彼は(3次元体は彼女だけども)、今も当時のままの

悔恨と祈りのループの中にいた。


彼が救われ、解放されることで、

3次元体が正常に起動し、輝いてゆく一助になればと願うし、


この宇宙の歪みが、少しでも元へと紡ぎなおされればと思う。

けれども個人的には

宇宙に関しては実のところは、もう、どうでもいいのかも知れない。



全体の為の 個  ならば

個の為の全体でもある。

そういう意味で、ホント、宇宙の行く末はどうでもいい。



2016年12月1日木曜日

過去に、暉に囚われず剣を抜く。


少なくとも、ワンダラーとしてここに降りたものは、

必ず帰還するという目標も掲げていたはず。


ならば、


他の、来訪者と同じように、美しさや、素晴らしさ、

輝けるもの、等に浸っていてはいけない。


感じいる中で、感謝の念や共感の想いが湧くことはあっても、

そこに留まっては、

これまでと同じ繰り返し。



人の歴史、

古代の在りようの焼き直しに過ぎず、


それではここを出ることは遠く叶わない。




自分の芯となり貫く剣を抜き、携え、

止まらずに進んでいくことを忘れてはいけない。




時々、面倒くさくなる話。


どの視点に立っているのかで、アセンションに纏わる話も

随分と違う様相を呈しているのだと思う。

簡単に言ってしまえば、

侵略した側とされた側で、解釈が違うように。

助けた側と、助けられた側で意味合いが違ってくるように。


まず、アセンション云々と云う話は、
そう上の方までは通っていないことなのだろう。

何故なら、
高位クリエーションの彼らにとっては「アセンション」という感覚が無いので。


つまりは、中位から下での企画案。


そこでのカオス状態の中為しえなかったことを、
もっと混沌としたここでなんとか挽回しようとした苦肉の策。


上手くいっているとは聞くけども、その基準はどこにあるのだろう。


私の感覚ではずっと、スッキリとしないままなのだけど。


確かに、現時点では好転しているのだろうけども

それは初めの予定からは大幅に修正をした上でのことなのだろうな、と思う。


できることを淡々と。


にしても、この状況に時々、面倒になる。

のも事実。

望み過ぎなのだろうね。