2017年6月20日火曜日

離れる。地に落ちることへの恐れ。


私はやはり、恐れていた。

何を?



離れること。

地に落ちること。



けれども、今となってはそれらはどうでもよく。


何故なら、

私はいつでも何処からでも、


何処へでも 飛び立つことができるから。




根拠も無く、甘くない事実は横たわるけれども、

そうであったと、思い出したような。



しかし、それすらもう必要もなく。



今のわたしがあるのみ。のこと。




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2017年6月6日火曜日

新しいステージへ


この前、友人と久しぶりに会い出たワードが

「残務処理」



お互い、そんなものを去年くらいから感じていたことを確認しあった。


「残務処理」とは、「会社」からの視点であって、ならば「個人」においては?

となると、「新しいステージ」に立つ、というところなのか。


いきなり解雇されたものもあれば、

前もって自分で次を用意していたものもあれば、

「残務処理」に追われるものもある。

他にもパターンは、星の数。



立場は違えど、どれも有無を言わさず

既に ステージは違う。

「会社」はもう実質、無いのだから。

当然。


あとは、どう展開していくのか

それぞれの裁量に委ねられている。



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2017年4月12日水曜日

宇宙タイムラインでのカルマ消滅



どうも、そんなことになったよう。

私の宇宙のタイムラインであったある出来事。

そこを発端として、下の次元へと受け継がれてきていたもの。

その出来事による、とりあえずの表現としての「カルマ」が

これもまたとりあえずの表現として「書き替えられた」ようだ。


私という、

とある「種」を内包した(これはここにいる、多くの存在ががそうみたい)3次元体に託されたことは

このカルマの解消と、それが済んだ後には、

既に上では先へと進められている案件を、ここに反映させて

宇宙へと投げ返すこと。

その為に、連綿と続けられてきた気の遠くなるような

遅々として進んでいないように思われた、事象。

実は、

粘り強く、根気よく、諦めることなく、

生きていた計画だったんだね。





ではこの「種」はなんなのか。

私はまだそのほとんどを知らされてはいないのだけど。

ま、それは




いつもやんな(笑)






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2017年2月13日月曜日

あまり代り映えしない



もうそれぞれの場での展開になって久しく。

振り分け帽子も用無しの態。

あとは、グループでの循環か、黙々と個人の調整。



グループでの循環か、とは言ってみたものの

そんなものあるんかね、、というところ。


余興的感覚が拭えない。

いい意味でも、あるし。

あんまり、な意味でも。


さっさと、自分のセカイを掲げてしまうのが良さげ。

だな。


そんな今日この頃。


いわゆるミラクルは通常運転。

なので、マジックショーにも見劣りする。




2017年1月7日土曜日

残像の回収


5次元、7次元の

残像の回収  

そんな事に 元々関わってはいたのだけど

ここのところは それが新しい局面を迎えたのか

佳境に入ったのか、

強く感じることが続いた。

私自身は、特に何もしないのだけど。




ここですることといえば 基本、

自分の内側を見つめること。

委ねること。




他次元の自分の動きにより 影響もあるので

そこも加味されるが。




委ねることの本質をまだ受け入れ切れていない私は

こういう時には そこを強く刺激されたりもする。

刺激され促される。



そんなことの繰り返し。




*******



5次元、7次元が大きく縮小される

もしくは ほとんどが 抹消されるなら

残像の回収は 必須。

それ以上の次元、全体に対する影響は計り知れない。







2017年1月4日水曜日

これからの空模様


中位クリエーションでの様相が様変わりしたことで

下へと降りてくる事象が、

いよいよと明らかになっていっているのだと感じる。




事によれば、吉。

別のところでは 凶  と出たこの現象は

どちらにしても一筋縄ではいかないものなのだろう。



自らが真意をくみ取り、地ならしをしつつ歩んできたものには

解りやすく見通しのいいものだが、そうでないものには

いつでも 逆転 する 危ういもの。




それが、牛耳る一部のもの達が

出した答え。





もう、「 のびしろ 」は  


勘定には入ってはいないのだ。







2016年12月21日水曜日

紡がれるタペストリー


今日は、かつての仲間に再会した。

彼は(3次元体は彼女だけども)、今も当時のままの

悔恨と祈りのループの中にいた。


彼が救われ、解放されることで、

3次元体が正常に起動し、輝いてゆく一助になればと願うし、


この宇宙の歪みが、少しでも元へと紡ぎなおされればと思う。

けれども個人的には

宇宙に関しては実のところは、もう、どうでもいいのかも知れない。



全体の為の 個  ならば

個の為の全体でもある。

そういう意味で、ホント、宇宙の行く末はどうでもいい。



2016年12月1日木曜日

過去に、暉に囚われず剣を抜く。


少なくとも、ワンダラーとしてここに降りたものは、

必ず帰還するという目標も掲げていたはず。


ならば、


他の、来訪者と同じように、美しさや、素晴らしさ、

輝けるもの、等に浸っていてはいけない。


感じいる中で、感謝の念や共感の想いが湧くことはあっても、

そこに留まっては、

これまでと同じ繰り返し。



人の歴史、

古代の在りようの焼き直しに過ぎず、


それではここを出ることは遠く叶わない。




自分の芯となり貫く剣を抜き、携え、

止まらずに進んでいくことを忘れてはいけない。




時々、面倒くさくなる話。


どの視点に立っているのかで、アセンションに纏わる話も

随分と違う様相を呈しているのだと思う。

簡単に言ってしまえば、

侵略した側とされた側で、解釈が違うように。

助けた側と、助けられた側で意味合いが違ってくるように。


まず、アセンション云々と云う話は、
そう上の方までは通っていないことなのだろう。

何故なら、
高位クリエーションの彼らにとっては「アセンション」という感覚が無いので。


つまりは、中位から下での企画案。


そこでのカオス状態の中為しえなかったことを、
もっと混沌としたここでなんとか挽回しようとした苦肉の策。


上手くいっているとは聞くけども、その基準はどこにあるのだろう。


私の感覚ではずっと、スッキリとしないままなのだけど。


確かに、現時点では好転しているのだろうけども

それは初めの予定からは大幅に修正をした上でのことなのだろうな、と思う。


できることを淡々と。


にしても、この状況に時々、面倒になる。

のも事実。

望み過ぎなのだろうね。







2016年9月22日木曜日

約束。



再会し、かつての約束を果たすには

自分を見つけてもらう必要がある。



それには、ある程度人目につくことも必要なのだろうけど

何よりも、合意の目印を付けていないことには、認識してもらうことができない。




それは、「匂い」みたいなものだろうか。

私が私らしくあることで醸していくもの。




どこの次元であろうとも、同一の波動がある。

それを、歪めず発している自分であれるか。

それが、約束を果たせるかどうかの要。




好きなこと、愛するものはあれど

特にしたいことも、目指すものもない。


ただ、約束した彼らに出会うことができ

それぞれに交わすことを果たせる・・・・その事を想い描いた時には


微かなトキメキのようなものと、安堵と満ち足りたものが

ふわりと立ち昇るのが、自分でもとても不思議なのだ。



そして願わくは、果たされるは彼らのこの世界からの完全撤収。

無論、私も。

2016年9月16日金曜日

高次元からのサポートとか。


契約の解除や解放は何段階にも及び

ぐるぐると、忘れたころに巡ってくる。

契約の重しとして、契約者の特性が使われたりもしているので

一体なんのことだか、どこの問題なのかもややこしくなること必至。



シンプルに行けば、容易く、

けれどシンプルに行かない筋道を通されており

それを努力と根性と覚醒と、という妙な取り合わせで潜り抜けていく。



高次元では、そこの手綱を、

横やりやらを巧みに交わしつつしっかりと握り、

華麗に私たちのサポートをしていく。



場合もあれば、

機能していないケースもあり。



そこは、機能していない高次元の地球上生活者が

気づけたラッキーで、

ひと踏ん張りするしかないのだろうな。






2016年8月20日土曜日

この宇宙がどこかで歪んでいたとして



ワンダラー部分解放ののち、

私にとってはまさかの、この銀河系のナントカ星人のときの地球との関わりの部分の記憶が出て、

また新たにパズルのピースがはまる、という事があった。


それは今回の解放部分と重なったところでもあるから、当然と言えば当然なのかな。

オサライは念には念を入れてくるものだし。


そこからまた月日がたち、もっと根幹に近い部分の、

既に蘇っているけどもあえて蓋をしている部分への刺激が久しぶりにあり、

奥底から滾るものを感じた。

これもそれも、ハイヤーには狙いがあるのだろう。



歪み始めた世界より上に位置するハイヤーの、その涼しい顔を感じながら、



歪んだ宇宙のどうしようもない世界で尚も顔を上げ、

常に前しか見ないでユニークに光るものたちの胸のうちを過るものを受け止めながら、



自分はただ、平々凡々とながらも日々模索し続け、

それも愉しみとしていくしか術はないのだという実感を深めることが、

少しでも前進した証し、みたいなものか。














2016年7月19日火曜日

傲慢さの完結


このブログはそもそも、

自分の中にまだ未解決になっているものを明らかにし、

解放する手段のひとつとして、

そして、そうするには欠かせない、「同じくするもの」への

語りかけをする為に開設した。



が、それも一旦の決着をここでつけてもいいのかも知れない。

自分の中で、ここに向かう時のニュアンスが、

確かに、少し前から変わってはいたのだ。



タイトルも、ワンダラーの肩書もそのままに、

違うセカイが映し出されてくるのか、

様子を見てみようと思う。


折しも、自分や周りで

銀河連盟絡みのことが、一層騒がしい。


それも関係あるのか。



かつて、自分が為してしまった・・・

そう、間違いを犯してしまったという想いからの罪悪感や、

けれど、そこに潜んでいた「傲慢さ」を

正面きって認めることが中途半端なままになっていたこと。

罪悪感が先か、傲慢が先か。

どちらも「ズレ」からの産物であり幻惑であるのに、

何故にここまでも引っ張ってしまったのか。


それらも、もう本当に、終わりにしよう。



そういうことが、


静かに私の中で進行し続け、

後もう少しで 完結  となるのだろう。




2016年6月25日土曜日

ゲームは終わり。



感情を味わう。


目の前のことに向き合い

葛藤するなり、時には逃げるなりする。

それらは、人であるかぎり誰もが経験することであり

実体験を積みそこから得るものがあり、自己研鑽していく。



其々の計画や

段階により様々であり、つつがなく進められて行きたいものである。



けれども、それを

体験したいことであるとして、


シリアスに、ゲームだ。と言ってみたり、

ユーモラスに、ゲームなんだよ。と言ってみたり、

事実として皮肉に、ゲームさ。と言ってみることは、



もう、

やめればいいと、願う。



少なくとも、

観光や遊学に来たのでなければ

いい加減なところでやめないと

違和感に押しつぶされて

どこにも身の置き場がなくなるのじゃないか。





そうなると、もう到底起きてはいられない。

あまりにも苦痛で。




仕事人である君ならば。

そうかもしれない。
























2016年6月16日木曜日

自分の領域に留まる許可


自分の居たい世界に居ていい。


ということを、自分含め忘れがちな人もいるかと思い書き留めておく。



自分の居たい世界。

自分にとって心地よく、呼吸をしやすい波動域。


風も吹けば、雨も降るところでは

外からの影響を受けないわけにはいかないが、

何より自分から、その場所から出てはいないだろうか?


自分の根底に

理由は其々微妙に違うだろうが

「 この波動域に居てはいけない 」 

や、

「 この波動域に行かなければ 」

というものが無いだろうか? 自分の意志、意識とは関係ない。

知覚することで、昇ってはくるが。





外的環境のことではなく、あくまでも自分自身としての

自分の内的世界感での領域の話。

慎重に自分を観ているのに・・・・なぜ?

という現象を繰り返す人は、まず無意識に自動的に「やってしまっている」だろう。



許可しない、という遺物があるのなら

直ちに取り去ることが賢明。



自身の違和感に素直であることに

何の問題もない。





2016年6月13日月曜日

プロテクト。




例えば、自分の身を守る時には

幾通りもの所作が 「詩」 のように織り込まれている。



時には、

魔物と呼ばれるような異なる種族の侵入を拒むとき、

彼らの好物と心地よい暫しの眠りが用意されたり



時には、

自分を囲む光に「自分の個性」の賛美が縫い止められていたり、



時には、

繊細な力加減と、放出する情熱のコンビネーションで

無効化を図ったり、



その都度であり、決まった「カタチ」はなく

対峙する瞬間に生まれる

魂のやりとりだったりするのだろう、と思う。










2016年5月27日金曜日

轍を踏む。



もう3年前になるのか?

ある時、ある次元に留まる 魂 意識 なんと表現しよう。

誰かの欠片たちをキャッチしたことがあった。

数人・・・という単位ではなかった。

彼らはその次元のその波動域から出られなくなっていた。




そこは、悔恨と悲しみに満ちていた。

大きな戦いが絡んでいるのは間違いないと思った。



なんとかしなくては。

ここの影響は大きい。

その凍結した世界から、彼らを救出する一助を担えるかもしれない。



そう直感した。

ように思った。

でも実は私の感情も入っていた。



そして、その結果

私自身も危うくそこから出れなくなるところでもあった。





そうなったのは、

私が意識せずとはいえ、

「自分のもの以外のものを背負おうとした」

ことが原因だった。

やり方、動機を間違えていた。


解っていたはずなのに、そうしてしまった。


それは、私自身がまだ解決できていないここに関する似た問題を抱えていたから。

今ならよくわかる。


けれど当時は、そこを気にしながらも惑っていた。



それでいいという確信を得たと思い動き、後に大打撃を受けたのだった。

実際は、危ういものだったのに。


今までに、

ハイヤーの元、既に為されたものとして現われていた、それらと同じだと勘違いしてしまった。



やはり無暗に手を出すものではない。










2016年5月5日木曜日

ヒトならざるもの。



連携の続き。


時に、樹や風や石の中にかつての仲間を感じることがある。

それは、どの樹も石もそうである。というわけではなく。

特定のものであり、特定の期間、のこともある。

通信機か?とも思ったけど違うよう。

依代、のようなものか?

それをいうならば、ヒトもそう。  固定、結着の仕方が違うだけなのか。



遥か昔、共に同じ意志のもと、ここの地に足を踏み入れた。

そんな記憶があったものもあるし、

来た理由を同じくしているわけではないけども、

この地で新たに意志を交わしたものもある。


それは、ここの精霊や存在としてある者たちとの交流とは少し違う感覚。


あくまでも同業の匂い。



近頃、その同業以外の存在にも、興味を示し始めた自分がいる。

興味というより、気づいたのか。


例えば 龍 という存在。


宇宙的ドラゴンとは違い、あまり親しみはなかったのだけど

ここのところ気になることが増えた。


改めて意識を向けてみると、

彼らは彼らなりに、ここでの自分たちの存在意義を懸命に見出し

今がある・・・・というようなことが伝わってきた。



始まりは違うが、

ある意味、自分たちの現状とさして変わらない。

そんな風にも感じられたのだった。






連携。


連携も多次元に為されている。

個というものが希薄になる次元はまた違ったものになるが、

3次元に近い5次元においてはそう対して変わらない様相をしている。



私の欠片は、この3次元にも複数存在しているけども(特定には知覚していない)
5次元にも勿論存在する。


そしてその5次元でチームを持ち、ここの私と連携したミッションをこなしている。

あちらは私の動きをしっかりととらえて動いており、その影響も勿論考慮されている。



これは、私における縦の連携の一部分。




横の連携もある。


これは全く異なる系統同士の連携。


やはり、個というものが希薄になる次元のものは、

微かな繋がりにはなるが、うねりは大きく

響く影響は僅かになるが、根源的なものへとなってゆく。



ここにいつも書いている視点は、主に

「個」を感じる次元の横の連携について。



その「連携」の作業のひとつとして

ここでは会うこともないかもしれない 仲間に対して

何かを思わずにはいられない、ということなのだろう。






2016年4月12日火曜日

ここを去った後に。



この3次元の地球で 「 死 」を迎えたのちどこにゆくのか。

(「死」を挟まない「完全解放」の可能性は如何程なのだろうか)

輪廻の輪に戻り 再びここに立つのか。(その頃にココがまだあれば、の話だけども)

宇宙へと帰還するのか。


さて、その「帰還」とやらはスムーズに問題なく、望みのところへとゆけるのか。


(このブログでいうところの)ワンダラーの場合、他の訪問者たちと違い

その帰還地点には、厳密な設定が為されていたはず。

特に今回、このタイミングは、そこを深く刻んでいなければ戻れないほどの深みなのだ。

ここでは終わらず「帰還後」も続く展開へと入るには、予定地点を大きく外さないことが必須。

外す可能性が大きいからこその、慎重かつ強固な設定。





「予定地点」というのは、どこかの次元、どこかの星、のことではなく、

全体としての「自分」の状態の中での「位置」のことである。







高次が、それ以下に反映されるように

3次元もまた、高次へと映されていく。


「全体」なのだから、至極当然。

私たちは「全体」を映し出す。



性質上、そこの事情を熟知し業(ワザ)としているワンダラーは、

帰還地点は外せないし、

絶対に外したくない「魂」なのだと思う。