2015年12月28日月曜日

ペロンと舌を出す。


さて、舌を出すのは

仕掛けた方なのか、仕掛けられた方なのか。





爽やかに煌き流れて行く繊細なエネルギーと

黒かろうが、光だろうが、他を侵食し腐敗させゾンビ化していくエネルギー。

その両方が自分の中にあったとして、

どちらを手に取るのか、というせめぎ合いは多かれ少なかれ

誰もが経験しているのだろうが、

それが長引けば長引くほどに、業は深まり、

見ることを避ければ避けるほどに

気づけば汚染源と同化し、自身の魂の腐敗臭にも気づくことができない状態になっている。



そんなことが、まだまだ

いや、今だからか、頻発しているのかもしれない。



取り込まれるもの、

躱して、再び立ち戻ってくるものの違いは何なのだろう。


汚泥にまみれても、たとえ小さな灯になっても輝き続けるもの、

美しさ、強さ、清らかさを求めつつも

その反対の道を行き、朽ちながらも振り向かず、

更に加速し進みゆくものの違いは、どの時点で生まれるのだろう。



魂の経験、の為なのだろうか?


この期に及んで?

今のこの地点で?




この世界はこの見えているセカイだけではない。



だからこそ、ここが、今が、正念場なんじゃないのか。









ああ、それも、別にいいんですがね。











2015年12月4日金曜日

今、自分にできること。


多次元に目覚めていくと

どこの時点にフォーカスするかによって

ここでの自分が置かれている状況を

どのようにすればいいのかが

都度大きく変化しているように感じ

戸惑うことも多いと思う。


けれども、よくよく見れば感じれば、

全ては一本の糸で繋がり

全てはひとつの意図で貫かれている。



私たちはそれぞれに


どこまでいっても変わりようがなく

どこまでいっても私でしかない。


変わりようのない部分を曲げて

どうにかしようとすると

3次元の日常でも、

高次元のどこぞでも、歪が出る。



自分で為しても他所に為されたにしても。





今は、

混じり気のない    自身を

自分の宇宙に突き立てろ


1ミリも

譲ってはいけない。


迷いも

恐れも

悲しみも

自分自身へと帰還させるのだ。




みすみす、餌になってやることはない。